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絶対音楽と標題音楽

クラシックの曲は「だれそれの交響曲○番」という題名が多いですが、普通、音楽やら文章やらの作品には具体的な題名がつけられます。写真の教室なんかでは「題名も作品の一部です」と言われ、「小林の風景写真15番」なんていう適当な題名は許されません。

そこからすると、昔の偉い音楽家は手抜きしとるのー、と思ってましたが、これは違うんですね。

「だれそれの交響曲○番」のような呼ばれ方をする曲は、題名をつけないことで特定のイメージを持たせず、純粋に音楽そのものを表現する音楽で、「絶対音楽」と呼ぶのだそうです。それに対して、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」とかドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」のような題名は、音楽でそのイメージを表現しようとしており「標題音楽」と呼ぶそうです。

ドビュッシーなど印象派作曲家と呼ばれた人たちの曲が標題音楽であるのは、音で題名のイメージを表現しようとしているためなんですね。

絶対音楽は純粋に音楽そのものを鑑賞するべし、というのは建前ですが、リアルにその時代を生きた人は、きっと「最近のモーツァルトはあんなことしてるから、今度の曲はこんなのだろう」とか、いろいろな情報を踏まえて音楽を聴いていたに違いなく、まったく純粋に鑑賞していたかといえば、疑問な気がします。ですから私たちも「のだめが嫌そうに弾いてた」とか、「このへんで峰たちがヴァイオリンを立てて弾いた」とか、そういうのを踏まえて聴くのはぜんぜんアリ! と思います。

  • 2005-01-26 (水)