ブラームス
ヨハネス・ブラームス(1833~1897)
J.S.バッハ、ベートーベンと並び、ドイツ音楽界の「3大B」と呼ばれる作曲家。7歳からピアノ、10歳からは作曲も学び、家計を支えるために居酒屋などでの演奏活動を行っていた。
1853年のハンガリーへの演奏旅行中に、シューマンと知り合う。シューマンは「新しい道」という論評を発表してブラームスを称え、世に出るきっかけを作った。シューマンは1856年に死亡するが、その妻クララとは、生涯に渡っての親交を続けることとなる。
ブラームスにコッセルやヨーゼフがいたように、歴史に名を残す音楽家には才能だけじゃなく、人との大事な出会いがあるものさ
(「のだめカンタービレ」9巻 佐久間の台詞より)
コッセルは、ブラームスが7歳でピアノを学び始めたときの、最初の先生。10歳のときに初めて公の場でピアノを弾いたブラームスは、アメリカへの演奏旅行を持ちかけられるほどの評価を得るが、コッセルはこれに反対し、旅行は行なわれなかった。
ブラームスの大きな才能を守りきれないと感じたコッセルは、自分の先生であったマルクスゼンに彼を託した。これによって、ブラームスはさらに才能を伸ばすことになる。
その後、20歳のブラームスは演奏旅行中にヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムと出会う。ヨーゼフは彼をシューマンに紹介し、そしてシューマンは、ブラームスを世に出すきっかけを作った。ヨーゼフはそのほかにも同世代の音楽家を紹介したり、ブラームスの曲の編曲を行ったらしい。
交響曲第1番 ハ短調 op.68
22歳のとき、シューマンの「マンフレッド」序曲を聴いたブラームスは、自分の交響曲を作曲したいと思い立ちます。完璧主義で、そしてベートーヴェンを深く尊敬していたブラームスは、交響曲を作るのであればベートーヴェンを超えるものでなければいけないと考え、推敲に推敲を重ねて、なんと20年もかけて、交響曲第1番を書き上げました。
当時、指揮者のハンス・フォン・ビューローはこの曲の高い完成度を「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼びました。
「マンフレッド」序曲とブラームスの交響曲第1番といえば、R☆Sオーケストラのデビュー公演の曲目と重なります。きっと、このエピソードに倣っての選曲だったのでしょう。
東芝EMI (2001/09/27)
売り上げランキング: 867

異形の熱演
時代を超えた名盤
ミュンシュさんありがとう。
ユニバーサルクラシック (2003/08/21)
売り上げランキング: 106,882
私が持っているのは、この小沢征爾&ボストン交響楽団。重々しい演奏です。
キングレコード (2005/09/22)
売り上げランキング: 22

おめでとう
すごいね
評価と言うより期待度?!R☆SオケのCDも出ました。耳の肥えた方からは不満の声もあるようですが、軽やかで聴きやすく、入門者にはいいと思います。
- 2005-10-10 (月)


